Rosechangのブログ

北海道から東京に引っ越しました。過去、現在の出来事を語ります

訪問介護〜支援中、利用者様ずっと怒り口調でした

先月から、体格の良い男性の方のケアに入っています。
これまで、ケア中のコミュニケーションは、〇〇様は、うなずいたり、質問に対しての受け答えのみで、物静かな感じでしたが、本日夕ケアに入り、清拭介助時、「お湯からタオルを出すのが早い!」と、物言い強く言われてしまいました。手順通りに60度のお湯を出しっぱなしにして、もういいかなと、いつもの感じでお湯に浸して背中に当てると、
「まだまだダメ ぬるい」の繰り返しがありました。繰り返しが続き終わらなかったので
「いい!と声をかけてください」と伝えると、良いと思ったところで声をかけてくださいましたが、背中にあてると、「まだだめだ!お湯を出しっぱなしの中にタオルを広げてもう少しおいておかないと」と怒り口調で言われました。

これを更に数回繰り返し続いたので、途中から私も怒り感情が溢れて語調が強くなり、怒りの表情も隠せない支援をしてしまいました。「見てください!60度となっています!これ以上熱くなりませんよ!!いつまでタオルをつけておいたらいいんですか!!」
時間がどんどん経過していきました。
「がまんするか!」と仰ったので、
そんなにダメなのかと、さらに自分は怒り感情が増して「いい!」と言われるまで頑張りました。

次に いつもの様に、
「足を清拭しますね」と話すと「しなくていい」と仰ったので、「ではやめます。」と伝えると
「してください」と仰り、さらに自分の怒り感情が強まりました。

足の清拭が終わり、乾燥肌の薬をつけました。

つけたあとに、
「足の薬、つけてないよ!」と怒った口調で言ったので「足を拭いた後に、すぐにつけてますよ!忘れたんですね…」と、この時は私は、苛々しつづけていましたが

笑いに変わり 笑いながら話しています。
「そうだったか、、?」と不思議そうにされていました。

 

軽く認知症状が進んでいるということを、後で知りました。

ケア後に管理者や、全体に報告して知りました。感情が乱れてしまい、冷静になった今、苛々してしまった事、深く反省しています。

感情が左右されない、プロ支援を目指して

明日も頑張ります

 

訪問介護〜ターミナルケア〜(看取り)

末期癌の方のターミナルケア

 

いつも訪問すると、笑顔で迎えてくれる。

年齢は80代。性別は女性。見た目は若く70代。

自分の母は、70代前半。見た感じは自分の母と重なる。酸素チューブをつけて生活している。

ご夫婦で生活を共にされていて、お父様は少し認知症状がある。食事は、ゼリー等飲み込む形に準備が必要だが、お父様がまだお母様が、りんごをすり下ろさなくても食べれる時の記憶で止まっているので8等分に切ってお皿に入れてくださる。それを、さらにすりおろして配膳をお手伝いさせていただく。サポート内容は、

口腔ケア、トイレ誘導、着脱、清拭、食事面をサポート。

毎日、昨日出来ていた事が、今日できないというように、できる事が少なくなっていくのを観ていた。これが、凄く辛かった。大丈夫、私がきました!と心の中でいつも叫んでいた。

訪問した時は、いつも「きたよー!!」というのが私のいつものスタイル、支援する時は敬語で関わり、楽しい会話等する時はどこのご自宅でも、ゆるい感じで関わっている。

 

毎日訪問していると、早いスピードでADLの低下を目の当たりにする。

トイレに行けなくなり、排泄はオムツにきりかわり、食事も取る事が難しくなり、ベッドに寝たきりになってしまった。

何かあっても救急車は呼ばないでください。とご家族様の要望で介護スタッフ一同精一杯全力で、サポートに入っていた。

 

いつも、退室時は、ありがとうございます。と笑顔が印象的だったが、日に日に、表情がなくなり呼吸するのが精一杯な感じ。しかし表情からは、苦しい感じではなく穏やかに眠り続けるようになった。声掛けに、無表情のまま うなずかれるので、言葉は届いているようなので、訪問した時は変わらずたくさんお話した。

 

2021年10月上旬

いつものように訪問すると、たくさんのご家族様がいらっしゃっていた。

 

訪問時、ご家族様は お別れの時が近づいている事を覚悟されているご様子でした。
直ぐに、「今日は何もしなくていいです。そばにいてあげて下さい。刺激を与えたくないんです。身体を動かすと、急に逝ってしまうのではないかと思うんです。清拭やオムツ、血圧を測ったりしなくて大丈夫です。」と、ご長男様より。


「身体を撫でたり、手を握ってもいいですか?」と相談すると、「大丈夫です」と返ってきたので長い時間身体を撫でたり、語りかけ手を握ったりして触れる。


ご様子)
•手は温かく、湿っていた。
•呼吸はいつもより早く短い。
•閉眼、口呼吸•口が大きく開いている。
•舌が落ちている。やや顔の向きが、左方向に向いているので、窒息する風では無い
•目元が潤んでいる。


17時45分頃
✔️口が開いた状態で長時間いるので舌が乾燥していたので、相談して口腔スポンジで口の中を湿らしました。
✔️髪をとかしてあげたいと、相談し実施しています。


18時00分

○○様のご様子)
空きっぱなしの口を噛み締めたので、ご家族に状態の変化を伝える。


この時のご家族様)
調理をしていたり、○○様から離れた場所で話をしたり、お父様は、筆を持ち写経をしていた

 

ヘルパーさんがくる前も、そんな
様子が時々ありました。とご長男さん。

(開いていた口を噛み締める動き)


この時、頻脈.P42 お伝えする


18時05分
女性の方が○○様の手首で脈を感じ取り小さく触れている事を確認。自分もその時小さく触れていることを確認。先程確認した時はしっかり触れていたが、この時は弱く感じた。
長男さんにその事を伝えると、ベッドサイドにこられ、脈を確認。


18時10分
吸って吐く時の胸の動きが無く、手首の脈も触れない、口元手でかざし、呼吸が感じられない
息子さんに、脈が触れません、測り方が悪いのか、、、大きな声で「○○さーん!」軽く、
肩をパッティングする
息子さんも一緒に同様の動きをし、確認。


周囲に離れていた沢山のご家族様集まり、
自然に逝ったね。
えっ?今? と、
ベッドの周りに立ち静かに看取られていました。


18時15分までのケアで、次のケアがあったため
自分の状況を説明し、床に手をつき深く頭を下げて退室しました。

 

 

旅立ちは物凄く辛かった。

家から外にでた時は、声を出して子供のようにしゃっくり泣きをしながら自転車を走らせ

次のご利用者様の所へ向かいました。

 

 

心の繋がりを大切に、ご本人と穏やかな時間を
一緒にいる事が出来ました。


語りかけ、肌に触れ、最後まで職員の皆様と
精一杯支援する事が出来ました。

 

 

 

子供の進学先が東京なので北海道から一緒に引っ越ししました

家族紹介

私には1人息子がいる。19才

 

息子の進学決まる

念願のIT専門学校に、2020年9月に進学内定が決まる。

 

移住について

初めは寮を探す予定だった。息子もそのつもりでいた。

 

しかしコロナ禍で暫く会えないかもとか

テレビのニュースで、学生さんが

バイトがなくなり学校を辞めなくてはいけないかも。とか言っているのをみて、送り出す事に不安が大きくなる。

バイトをしてもらい、なんとか生活費を送り頑張る予定だったが、厳しい現状。

 

寮代8万円、食事代、その他、学校から1時間先にある寮からの交通費代など、

家賃代や生活費が、二重になり家計の負担が大きくなるし、

精神的・経済的に総合して息子とも話し合って一緒に住む事に決めた。

 

仕事を退職する

職場には10月に、2月まで働いて退職します

と話して 実際予定通り、2月上旬まで働き、退職する。

 

〜引っ越しの準備〜

引っ越し代を安くするために、たくさん処分する

 

引っ越しの見積もりをして1番安い所に決めた。

たくさん処分して、荷物9万円くらいで運べることになった。

 

 


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たくさん処分したことを後悔する

東京に引っ越しして、あれこれ買い物をすると意外と買い物出費代金が大きく、予想外の50万円くらいかかってしまい驚いている。

 

購入したもの

冷蔵庫、洗濯機、掃除機、レンジ、子供の机、ベッド、収納棚、各部屋カーテン、靴箱、TV、テレビ台、コタツ、洋服がけ、細々した最低限調理器具、調味料、食材、他。服、靴もほとんど処分してきてるので、また購入。

 

住まい

6畳間3つ

リビング、息子の部屋、自分の部屋

息子の部屋にだけ、エアコンがある(最初から備えてある)

職場の方からは、エアコン絶対もう一つあった方がいいと、言われていたが、暑い日に扇風機で過ごしてきた自分は、冷風機(5000円以内)のもので、大丈夫だった。

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これから遠くに引っ越しを考えている方へ

今使えているものは、引っ越しするために料金負担を軽減するために処分する事はおすすめしません。

少し送料がかかっても、持って行ったほうがいいです。そして落ち着いたらゆっくり新しいものを買い替える事をおすすめします。

 

一緒に住む期間

2年間契約で、引っ越しました。

2年後は、息子の住みたい家を探す予定です。

自分は、息子が就職して暮らしていく環境が整った時に、離れて暮らす予定です。

 

親、兄弟がいる北海道に帰ろうとも考えています。ずーっとこれから息子が東京に住む様子なので側に住んでいたいとも悩みますが、まだ期間があるので、ゆっくり考えます。

 

 

今は、新しい環境と仕事に慣れるように

頑張ります!!

そして息子との時間を大切にしたい

 

 

 

2021年4月から息子は進学しました。

家は3月4日から住んでいます

自分は、3月8日から働き始めました。

障害者福祉施設に勤めましたが、8月31日で退職し、9月1日から高齢者訪問介護職を頑張っています

 

 

 

 

北海道旭川市から東京へ引っ越し働き始める(訪問介護)

2021年3月3日に、東京へ引っ越し現在に至る。

 

今日は9月21日。

3月8日から障害者福祉施設に就労したが、

3交代、早番•遅番•夜勤のシフトが自分に合っていなく生活のリズムが作れず、8月31日に退職する。

(障害者福祉施設は以前は、長く働いており、

シフト無し定時勤務。)

 

9月から、再就職し、訪問介護職をスタートしました

訪問介護は、20年も前に5年くらい働いていた事もあり、ブランクはあるものの、またはじめたい!と強く思い、採用された時は凄く嬉しくて、今頑張っているところ。

 

私は方向音痴

私は方向音痴です!そこが1番心配していて、

やっぱり実際に、苦手で苦戦している。

休みの日は、道を走り回って覚える努力をして、なんとか少しずつ覚えてきたが、毎日10件くらい新しい利用者さんの家に向かうので、なかなか、辛いところ

 

管理者には、「ゆっくり覚えていってください。」と言ってくださるが、自分が困るので、やっぱり休みの日には自転車で道を走りにでる。

仕事を覚えること、たくさんある上に

道を覚える事の悩みが大きい。

道に迷わない対策として、

今は、携帯ホルダーや、雨の日の携帯カバーを買った。わからない道は、Googleマップ

見てお客様の家に走る事が多い。

 

仕事のカバンの中身

どんなものを持ち歩いたらいいのか、今は手探り。ウエストポーチを最初つけたが、外さないと、邪魔になる事が多く、今はリュックに必要なものを入れてもちあるいている。

 

自転車の、カゴには防水カゴカバーをつけた。

これが、大変便利。

 

その中にリュックや、かっぱ、お客様の家にあがる携帯スリッパを入れている。

リュックの中身は、靴下、お客様の家に上がるときの携帯スリッパ、マスク、消毒、日焼け止めスプレー、虫除けスプレー、水筒

 

お客様の家に入室する時は、小さいポーチ(貴重品、ディスポ、消毒、ポケットティッシュ、メモ帳、ボールペン)が入ったのを持参して玄関に置かせていただいている。

手を拭くハンカチは、いつも、ズボンのポケットに入れていたが、落としてしまったり、すぐに濡れてしまったので小さいタオル生地のをズボンのベルトに挟んで仕事している。

 

◉色んな床の上に入室するので、携帯スリッパは、絶対必要。

仕事はじめは、用意してなかったので、かなり汚れた床のお客様の家も我慢して入室した。仕事終わりに、すぐにスリッパを用意した。

 

色んな家に訪問して最初に驚いたこと•••

私は北海道で育ち、雨戸の存在を知らない地域にいたので、雨戸を閉めるという事を初めて経験する。シャッターの様な引き戸をスライドして2枚引き出す。各家庭に時々ありこれが普通である事を知る。

 

介護経験のブランク

20年前に、5年介護をしていたからできると思っていたら、意外と色んな所で戸惑っている。

 

 

 

ベッド上での座位にする仕方や、オムツ交換、

基礎を、YouTubeや、ネットを繰り返しみたり

実際同行してくださっている先輩に教わって介護技術を学んでいる。

 

安心して任せていただきたいし

笑顔を届けたいので、

これからもたくさん学び頑張ります!

 

 

 

北海道旭川市から東京へ引っ越し、働き始める(障がい者福祉施設)

これまでの仕事

私は旭川市で長く障害者就労支援施設で働いていた。東京でも仕事は福祉の仕事をしたいと、思っていた。

 

仕事探し•面接

2020年9月にSNSで仕事探し行きたい!と強く思った施設に応募して、2021年2月中旬に第一次試験面接をzoomで行い、1週間後に直接面接先の本社に2次筆記試験を受けた。当日即採用内定をいただく。

 

仕事決まる•東京へ引っ越しする

3月3日に引っ越しをして、3月8日から仕事を始める。4月からの採用通知をいただいたが、相談して3月はアルバイト契約。4月から正社員となる。

 

働き始める

就職先は、障害者就労継続支援B型〜障がいを持った方が自立して働く事ができるように訓練を受ける施設(日中)とグループホーム(日中一時、ショートステイ)を兼務。

 

自転車で30分かけて通勤する。

電車で通うとなると 駅まで歩いて13分、電車で5分。そこから歩いて15分。なので、悩んだが自転車で通う事にした。

雨の日は、かっぱを着て走った。坂があるので大変で多くの方が普通にスイスイと走り、追い越していくのをみて凄いなと思っていた時があったが、今では、自分も追い越すようになった。最初の2週間くらいは自転車を漕ぐのが、遅かったが次第に筋力がついたようで、平均20分くらいで職場に着くようになった。

 

『仕事内容』

施設)障害者ご利用者様へのお仕事の提供、

   公園清掃、月I室内イベントの提供等

グループホーム)買い物、調理、身の回りの

   お世話、介護支援

言葉でコミュニケーションが難しいが、身振り手振りで会話が成立する方、出来ない方、他色々な方々がいて、そんな方のサポートをするお仕事です。

 

働いて半年が経ちました。仕事に慣れてきて、職場の皆様とも仲良くとてもいい環境ではたらいていました。

 

しかし、シフト制のお仕事が、わたしにはどんどん苦痛になってきてしまいました。

 

早番は、6時半からなのですが、移動時間や、家の事、自分の事で4時起きです。早番の前の日は、寝ようと思っても、なかなか眠れず

朝を迎えてしまう事がたびたびあり寝不足続きとなりました。夜勤は、15時半から朝の9時半までですが、実際は超過する事もあり、間の2時間休憩は、眠る事が出来る時間なのですが、自分は一睡もできません。

 

生活リズムがどんどん乱れていき、頭もぼーっとしてしまう事が増えて生活リズムのコントロールが難しかったので、短い期間でしたが

職場に話をして8月いっぱいで退職しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道旭川市から東京都に住むまで〜家探しと仕事探し

仕事探し

私は、福祉の仕事をずっとやってきたので、やっぱりこの仕事を続けたい!と思い、ハローワークや、福祉専門の紹介会社に登録して引っ越しをする半年前から仕事を探していました。

 

最終的には、求人募集をネットで見て、2020年の9月に、直接希望の職場に連絡し応募しました。12月には働いていた職場に2021年2月に退職したい事を伝え、退職届けを提出。コロナの心配の高い地域への出入りが勤め先で禁じられていたため就職活動も厳しい状況で、不安も大きかったですが、『なんとかなるさ』という気持ちで前向きにいるようにしていました。

 

2021年2月の上旬に、働いていた福祉職を退職し、応募した先の面接をしました。コロナ禍なので飛行機に乗って移動することや、他の地域への移動は控えるよう職場で言われていたので退職してからでないと、面接が出来ない状況でとても不安と緊張感が大きかったです。

『なんとかなるさ』と、思うようにしてさらに

仕事先が見つかることを強く願っていました。

 

家探し

家は、仕事を辞めてから本格的に探し始めた。旭川市で名の知れた不動産に行くと、東京にもあるからと、紹介いただき、そちらに電話をしてやりとりした。ただ、仕事をしていない人には家を貸す事が出来ないという。

ネットでも色んな家探しのアプリを登録していたが、同じく仕事がない方には紹介出来ないと、口を揃えていわれた。

 

家を借りる時は、無職の状態では借りれない事を知り、大きなショックと、この先の不安が大きくなったが、前向きにいた。

 

応募先の面接

2月、退職してすぐに、zoom面接を受ける。

zoom面接はどういう感じなのか、事前にYouTubeで調べた。自分は、パソコンが無いので携帯で行うやり方を調べた。あるあるで、うなずきを多くしてしまわない事や、携帯を面接中に落とさないように固定することなど、たくさんみたが、実際こんなダメなパターンをしてしまった。

しかし、数日後zoom面接の一次試験合格。

次は2次試験。に進む事が出来た。飛行機の予約をした。家探しと、面接をするために3泊4日ホテルを予約した。

 

不動産にも連絡をした。

仕事が内定しないと家を借りる事は出来ないけど、内見だけしておいて面接先の内定通知があればすぐに申し込みをしましょうということになった。

 

飛行機で東京へ

東京1日目〜

3時ごろに到着し、まっすぐ不動産へ。

明日内見するための、資料をパソコンで確認。事前に自分でも調べたものを、お伝えした。かなり長い時間いたと思う。

 

東京2日目〜

家を内見する。第一希望、第二希望伝えた。

 

東京3日目

応募先の、職場面接日。

筆記試験と、対面面接する。対面面接では

いつから住みますか?と質問あり、仕事が内定しないと家をかりる事ができない盲伝えた。

 

面接終わり、直ぐに内定通知をいただく。

凄く嬉しかった。直ぐに不動産に連絡する。

色々準備するものを伝えられる。

すぐに契約出来る様に、マイナンバー、通帳、印鑑を持ち歩いていたので、今必要なもののコピーなど、郵送した。

さらに家に住むための審査があり、審査が通るのを待つことになった。

 

東京4日目〜

北海道に帰る。

1週間後くらいに連絡が入り審査が通り住む事ができる知らせが届いた。すぐに家に住むための手続き書類も郵送される。

今住んでいる家も出る手続きをした。

 

引っ越しは、2月から3月上旬にしたいと決めていたので、少しずつ段ボールにも、1月からつめたり、フリマサイトにもどんどんだしていた。着々と引っ越しの準備がスムーズに進んでいた。引っ越し屋さんも、見積もりして1番安いところを見つけお願いした。

 

車も売った。

前日には冷蔵庫も売り、まだ雪があったので

ベランダに、飲み物や食べ物を並べて置いた。少し雪もベランダに乗っかっていたので雪に包んだりして冷やした。

 

2月26日引っ越し屋さんが来て、荷物を搬入。

5日間かかると言われた。東京に届いたら5日間くらいは、荷物を預かってくれると言われたので、3月3日に届くようにお願いした。

 

陸配送で、東京に荷物が届いたら、東京のネットワークの引っ越し屋さんが引き継いで受け取り、これから住む家まで届けてくれる

 

それまでの間、実家に泊る。

両親や、家族、友人、知人、会いたい人みんなに会ってこの土地から離れる準備をした。